⑲アイルランド→イギリス(ロンドン)→フランス(カレー)・・・一人旅再開
2001/02/12
父の元を離れる直前から突然体調が悪くなった。とにかく胃が痛い。何を食べても気分が悪く、胃の痛みが治まらず、薬局で拙い英語で症状を訴えて胃薬を買うがイマイチ効果なし。
ずばりストレスでしかないと思う。特に宿探しを想像すると吐き気までしてくる。また駅や観光案内所で安宿のチラシを探して歩きまわるのか…。この10数年後には携帯電話で宿探しできるなんて当時は想像もできなかった。
最後に父のPCでEメールをチェックし、親しい友人たちには「またしばらく連絡できなくなる」と書いて送信。そして、父には感謝の気持ちを綴った手紙と、少し早めのバレンタインデーのチョコを渡した。父も寂しくなるだろうな。そしてバス乗り場で父が「ヨーロッパならしょっちゅう出張が入るからまたどこかの都市で会おう」と言ってくれた。その言葉に希望を抱きバスに乗り込む。体調を心配して見えなくなるまで手を振ってくれた父。本当にどうもありがとう。1年間海外生活なんて、今更ながら本当に尊敬するよ。
翌朝、ロンドンのビクトリアコーチステーション(バス乗り場)に到着。ロンドンは大学時代の短期留学含め過去に3回来たことがあったので、一旦一人旅の感覚を取り戻すリハビリ的な時間として効果的だった。ビクトリア駅近くの安宿は、壊れそうなパイプベッドと常に人が階段に座ってお喋りして騒がしい宿で気持ち安らぐことはなかったけれど、それでもかつて人生初のカルチャーショックを受けたロンドンという街にいられることが嬉しかった。
ロンドンからはコーチ(バス)で港町ドーバーへ。数週間前にベルギーからこのドーバーに渡ってきたときはいろんなことにテンパり過ぎててホント大変だったな…。これから私は大型フェリーに乗っていざフランスへ。しかしどこをどうやってフェリーに乗るのかも分からず、とりあえず人に聞きまくってなんとかチェックイン完了。またも胃痛がしてくる。大丈夫か、私。
フェリーの中では朝ロンドンで買ったリンゴとチョコレート、安いパンをかじってドーバー海峡を渡る。頭の中はフランス側の港町カレー(Carais)から無事にパリ行きの列車に乗れるのかどうか不安でいっぱいだった。
フランスに到着すると全員フェリーからすぐにバスに乗せられ、入国審査とかあると思ったのに降ろされたのは駅だった。駅までどうやって移動しようか悩んでいたので、意外なくらいあっさりと問題解決。ホッとしてパリ行きの列車が来るまでの時間いろいろと整理しようとベンチに座ってしばらくして、いろいろ「何か」がおかしいことに気が付く。
あ・・・時差
パリ行きの列車は一時間前に出発していた。あーーーーー、みんな時計触ってたのは時間を修正していたのね。そういうことか。やられた。残念ながらこの日のパリ行きは断念するしかなく、しぶしぶツーリストインフォメーションへ。
刺激はないが安パイなユースホステルに泊まることにした。
非常にキレイで清潔なホステル。まあユースホステルは、通常私が泊まっている安宿よりは若干価格が高めなのでキレイであることは当然だと決めている。とはいえ約1,400円程度。今にして思えば本当に安いな。
しかしこちらの化粧室。トイレと同じ空間にシャワー室があり、突き当りにはもう一枚ドアがあって鍵がかかっていた。しばらくそのドアの意味が分からなかったのだが、なんと隣室と繋がっているではないか!!!
トイレ&シャワー室からは鍵が掛けられない作りになってて、運悪く隣人と同じタイミングでトイレorシャワーを使うことになったら、と思うとゆっくりする気にもならなかった。シャワー室にはビニールカーテンが一枚ぶら下がっているだけ。夜中に突然、顔の見えない隣人の用を足す音が聞こえてきた時はゾッとした。まだ共同トイレの方がいいや。きれいで一見安全なのに、これは本当に恐怖だった。