2025年6月22日日曜日

アイルランド(ダブリン)

2001/01/27

長距離バスと船移動してる間にアイルランド人のおじいさんと仲良くなった。歯が抜けて時々なんて言ってるのか聞き取れないこともあったけど、とってもチャーミングで楽しくて。ダブリンに到着すると、彼はこれからさらに4時間かけて自分の住む街へ移動するんだとか!すごい!体力オバケ!別れがたい気持ちはおじいさんも一緒だったようで「朝ごはんだけでも一緒に食べないか」と誘ってくれた。まだアイリッシュポンドに両替してないからと言って断ると、おじいさんがご馳走してくれるとの事。生まれて初めて食べるアイリッシュブレックファスト。たっぷりの紅茶にポークビーンズとベーコンと目玉焼き。それに薄切りでカリカリに焼いたトースト。美味しいぃぃぃぃ!おじいさんは孫の世話をするみたいに「紅茶に砂糖は?」「パンもっと食べなさい」「ミルクいるか?バター塗ったか?」と気にかけてくれる。有難いなあ。最後に1枚記念写真を撮らせてもらった。ホント可愛い。

こうして名前も知らない相手とほんの僅かな時間を大切に共に過ごせることが旅の醍醐味だと思った。数時間の出会いが何十年も記憶に残るって本当に素晴らしい経験だと思う。

さて、アテにしていた父ですが、名刺に書いてあった住所を頼って行くも留守。仕方ないので両替所に行き、T/C(旅行小切手)を現金に変えてもらいコインロッカー探してブラブラ。荷物の重さに心折れそうになり、ダメ元で父に電話を掛けてみたら、出た!!!仕事から帰ったばかりらしくタイミングが合ったみたい。そして、父の声を聞いて旅前半の緊張が一気にほぐれて「ああ、やっとここまで来れた」と膝下から力が抜けていった。久しぶりの再会。ああ、お父さーーーん!本当にアイルランドで会えるなんて。二人でパブに行きギネスで乾杯。この2週間が辛すぎたからか夢のような心地だった。

父は日本では大手の建設関係のコンサル会社に勤務しており、博士号を持つ技術者。しかし50代半ばで脱サラして単身アイルランドに渡り、ニッチな(狭い)分野でISO(国際標準化機構)に関わっていたらしい。退職金もなく貯金を切り崩して単身アイルランドに行かせる母もすごいな。2019年に膵臓癌で亡くなるまで現役でお仕事させてもらえたのもこの時の経験があってこそだと誇りに思う。まあ、ここまで書くと立派な人みたいだけど、常識オンチもはなはだしく、焼酎と日本酒、チューリップとバラの違いもよく分からない人でした。50過ぎて初めての一人暮らしが異国の地ってのも普通なら無理そうだけど、とりあえず生きててよかった。笑

一緒に買い物に行き、当面の食料などを買い込み、しばらくの間の二人暮しがスタート。生涯忘れられない2人の生活となった。

父が勤めてたトリニティカレッジの研究室にて↓

父の顔を勝手に晒してしまった今日は、父の月命日でした。お父さんゆるしてね。

2025年6月20日金曜日

ベルギー(ブルージュ)からアイルランド(ダブリン)

2001/01/26

6:57ブルージュ発の列車に乗り込んで、翌朝8:00アイルランドの首都ダブリンに到着するまでの約25時間の記録となります。

早朝。ルームメイト達が寝静まっている中、そっと身支度を整えて部屋を出ようとした時に、昨夜一緒に飲んだペルー人マリアが静かに挨拶してくれた。数時間前に会ったばかりだけど、わざわざ起きて旅立つ私にそっと声をかけてくれたことが本当に嬉しくて、一期一会とはこのことだなと思った。彼女の旅も素晴らしいものでありますように。

街全体がまだ寝ているかのように静かで、この地をこの時間に離れることが惜しい気すらする。さよならブルージュ。港町オーステンドまでゆっくり車窓を楽しむ。

そう。私は今からこの大陸からドーバー海峡を渡ってイギリスに行き、そこからさらに北上してさらにさらに海を渡ってアイルランドを目指すのだ。港町オーステンドに着くと、町の静けさとは一変してドーバー海峡渡る船のチケットを購入する人達でごった返していた。私もその列に並び、イギリス行きの片道チケットを購入する。

購入後、船乗り場まで来てふとチケット売り場に往復割引の金額が書いてあったのを思い出した。往復だと安かったな。いや、だとしても片道チケット高すぎんか???ユーレイルパス持っていたら割引になるという情報もあった。考えれば考えるほど解せない。こちらは貧乏旅行で10円だって深刻に考える身だ。たまたま隣にいた黒人のおじさんにチケット代について尋ねた。「確かに高いね」という言葉がまるでロケットの発射スイッチのように、私はチケット売り場へ全速力で戻って訊ねた。しかし、私の英語力ではなかなかうまく説明できず、売り場のおばさんにキレられた。再び全速力で黒人のおじさんのところに戻り、おじさんに「あなたは私の言いたいこと理解できるよね??ね?説明してよ!」と無茶振りしたら一緒に売り場に戻ってくれて再交渉。しかしまあ、これが間違いではなく通常の価格だという。筆談でやり取りしてもらったけどチケット売り場のおばさんの筆圧で察していただきたい。「いい加減にして!」と2人揃ってガチギレされた。涙

完全に負け犬状態で船に乗り込む。おじさんごめん。おじさんはガーナ人で名前はソロモン。「日本にはガーナチョコってのがあるんだよ」って伝えたら「ホントに!?」って喜んで意気投合。ソロモンはベルギー人の奥さんの実家に行ってたらしく、これからロンドンでパソコンを買うんだって。短時間の船旅の相手が優しい人でよかった。海を渡り、うっすらとイギリスが見えてきた。なんか感動!さっきまでのイヤなこと、ドーバーの白い崖見たら全部忘れてめっちゃテンション上がった!ソロモンに「本当に"white cliff"は白いんだね!」と言ったらいろいろ教えてくれた。ん?チョーク?チョークってなんだ?ああ!ソロモン、確かに学校で白い崖は石灰岩って習った気がするよ。白い崖はチョークでできてるってことなんだね。このドーバー海峡で16世紀に海戦があったのかと思うと、今乗っている船がまるでスペインの無敵艦隊のようにすら思えてきたよ!こうして海からイギリスという国を見た兵士たちは何を思ったんだろうね!……なーんて聞き上手のソロモン相手に興奮していたら、すっかり両替するのを忘れてイギリスに到着してしまった。ああああ、このドーバー駅からロンドンまで移動するお金が無い!!両替する場所もない!!

ソ…ソロモン…。しどろもどろ事情を説明したらにこやかに切符を買ってくれた。「ロンドンのヴィクトリア駅に着いたら必ず切符代を返します」と伝えたら「気にするな。ノゾミが両替を済ませて、アイルランド行きのバスのチケットを買って、バスを待つだけの状態になったら僕は行く。それまではきちんと見守るから」と。いやいや!そこまでさせるつもりはない。するとソロモンは続けてこう言った。

「僕がかつてナミビアを旅した時にお金が足りず困っていた時、隣にいた人が助けてくれたんだ。旅人を助けることは特別なことではない。僕がいなくてもきっと誰かが君を助ける。」

「やっとナミビアで受け取ったバトンを誰かに渡すことができた。ノゾミも困ってる人がいたら親切のバトンを繋いであげてほしい。」

もう泣くのをこらえるのに必死。何度だってバトンを渡そう。約束します。結局、ソロモンは本当に私がバスに乗る準備が整い、バーガーキングでお腹を満たすまで傍にいてくれた。そして自分が食べ終わると笑顔で「良い旅を」と言ってさっと店を出て行ってしまった。ソロモンが目の前からいなくなって急にポテトが冷えてしまった気がした。

(こちらがソロモン。帰国後、彼から宗教勧誘のメールがめっちゃ来てた。笑)

そしていざ、ロンドンはヴィクトリア駅近くにあるバスセンター(コーチステーション)から高速バスに乗り込んだ。かくかくしかじか24年後の今年2025年、まさか娘と一緒にこの場所に来て、留学する娘が乗るバスを見送ることになるとは夢にも思わなかった。この話はインスタには書いたが、ここではまたいつか。
バス車内の狭さに驚き、トイレもついてない空間で9時間だと…。若さでどうにか乗り切ったが、今の私じゃ絶対無理だろうな。途中リヴァプールでフェリーに乗ってアイルランドへ渡り、翌朝8時、さすがにヘトヘトに疲れた状態でアイルランド上陸した。

実は、アイルランドには脱サラした父謙二がいるのである。連絡取れてないけど、久しぶりの父娘再会できるのだろうか。果たしてどこに行けばいいのだろうか。

2025年6月18日水曜日

ベルギー(ブリュッセル、ブルージュ)

2001/01/24  24,000歩

この宿は朝食付きだと高くなるので素泊まりにし、好きなものを買ってきて食べることにしたけど何を食べても美味しい!そして日帰りでベルギーの首都ブリュッセルに行ってみることに。小便小僧ことマヌカンピスは想像以上に小さくって可愛らしい!コペンハーゲンの人魚姫と比較してしまうけど、みんなに可愛がられて愛されているのを感じる(いや、人魚姫もそうかもしれないけどね)。

グランプラスという中央広場は荘厳な雰囲気で思わず息を飲んだ。す、素晴らしすぎる。たまたま近くにいた人が言うには、この市庁舎の建物はよく見ると左右非対称なのだとか。左右対称にしたつもりがズレていたことに完成してから気がついたらしく、設計者はあまりのショックと恥ずかしさで塔から飛び降りて自殺してしまったらしい。設計者さん、あなたのミスのおかげで、多くの人がこの建物を長い時間見つめることができていると伝えたい。(その市庁舎がこちら↓  当時のデジカメは全体を撮ることができずこれが精一杯)

そしてひたすら街歩き。ベルギーワッフルは想像以上に美味しかったし、野菜たっぷりのサンドイッチを頬張りながら古い町並みを見て回るのは最高の時間だった。チョコレートショップが多いのもベルギーならではだなと。(高級感ハンパなくてとても入れる雰囲気ではない)

そして早めにブルージュに戻ってきて、飽きもせず街散策。もうどこを切り取っても絵になる風景ばかりで、今自分がここにいることが信じられない思いだった。街並みのせいか、天気のせいか、足の痛みも和らいできたし、心もちょっとずつ落ち着いてきた気がする。そして気持ちに余裕ができたからなのか、それとも土地柄なのか、美味しいものに心のアンテナが反応するようになってきた。水ひとつとっても当時の日本でなかなか手に入らなかったコントレックスや炭酸水が並んでいることにテンションが上がった。(お水やお酒が美味しくてめっちゃノートに記録してた)  宿の1階にあるバーに行くと、なんとスピリッツやカクテルを一切置いてないビールOnlyのバーだった。そんなバー、需要ある!?なんて余計な心配をしたのも束の間。ベルギーはビール大国で、数え切れないほどの種類の地ビールが揃っていて、驚くことにそれぞれのビールに専用のグラスまで用意されていたのだ。それならばとオススメをオーダーするとWestmalle(ウエストマール)が出てきた。黒ビールに近い色をしてて泡はギネスのようにキメ細かい。でも飲んでみると黒ビールほど焦げたような味ではなく飲みやすい。軽い甘さとフルーティな風味があって、ゆっくり味わうビールのようだ。周りを見ても、日本のようにゴクゴクとのど越しを楽しむ感じではなく、みんなちびちびとビールを飲んでいた。

オーストラリアからやって来たルームメイトのコニーとペニーからは今更ながらの英語をいろいろと教えてもらった!

こうして心穏やかに翌日もブルージュでの時間を堪能した。アーモンドクリームの入ったデニッシュパンや冷凍コロッケ、ミルクパン、ポークビーンズ、チーズそしてビール!ビール!ビール!仕事もせず美しい公園で鳥のさえずりを聴く時間がなんとも非日常で素晴らしいのだけど、やはり心のどこかに穴が空いてる気がするのは1人だからだろうか。それとも帰国した後の生活が気がかりだからだろうか。最近は日本で仕事を頑張っている夢ばかりを見てしまう。目が覚めるとそこはベルギーのベッドで、どっちが現実でどっちが夢なのか分からなくなる。ただひとつ言えるのは、仕事してるのが夢だと気がついた時、私はとても残念な気持ちになっているのだ。


2025年6月17日火曜日

オランダ(アムステルダム)からベルギー(ブルージュ)へ

 2001/01/23 18,000歩

移動ばかりが目的の旅なのはいかがなものか、なんて数日前にコペンハーゲンで考えたばっかりだったけど、お酒とドラッグでテンション高いルームメイトたちの騒ぎ声にうんざりしたのもあって、アムステルダムは一泊だけにして、今日はベルギー北西部にあるブルージュという街に行ってみようと決めた。

(アムステルダムにある跳ね橋)

朝食前にザックに荷物を詰め込み、出発の準備を済ませてから食堂へ。二種類の食パンに、甘くないラスク、ジャム数種、ハムとチーズ、コーンフレークと甘くも酸っぱくもないヨーグルト、オレンジジュースとコーヒー、紅茶。貧乏旅行には夢のような朝食。もちろんキッチンもあって自分で食事を作ることも可能。黙々と食べていると目の前に山のように食パンを積んだ人が座った。アマノだった。「朝食要らないから昼ご飯を作る」と言って、堂々と朝食用のパンにハムやチーズと挟んでサンドイッチを作っていた。ナイスアイデア!私も一緒に昼食用のサンドイッチを作った。アマノは一年の半分はインドで過ごしているが、時々お金を稼ぐために漁に出るとか。今回もそのためにこれからノルウェーに向かうらしい。シャワー室で大声で歌うアマノの声を聴きながらホステルを後にし、一度は行ってみたかったアンネフランクの家へ。アンネが<強制連行されるユダヤ人を見て、自分が密告者のような気分だった>というのを想像しながら窓から通りを眺めた。この場所で息をひそめて生活していたことがリアルに伝わってきた。
(アンネ・フランクの家)

特に何の未練もなくアムステルダムからベルギーはブリュッセル行きの列車に乗り込んだ。二人ずつ向かい合わせの4人掛けの二等席。国境超えるのもパスポートいるのかなあ?くらいにのんびり構えていたら、案の定、国境駅で停車。乗り込んできた警察官が一人一人のパスポートを入念にチェックし始めた。おお、こんなの初めて。私はあっさり確認終了。同じ席に座っていた中国人男性二人のパスポートを見て、警察官が眉をひそめた。おいおいおい。どうやら一人は入国のスタンプがないらしく、なんともう一人はパスポートすら持たない。おいおいおい。しかも全く英語が通じないらしくらちが明かない。周りも何事かとざわざわし始めた。とそこで気が付いたのだが、みんなの目線が完全に私を含む「三人の東洋人」がトラブルの原因として見られている!おいおいおい!ちょっと待ってよ。警察官もどうにか意思疎通を図りたいらしく私の方を見て「お前こいつらに聞いてくれよ」と言ってきた。えーーーーマジか。仕方なく警察官の言ってることを漢字で書いてはみたものの、中国人の言ってる言葉がさっぱり分からず、結局二人とも強制連行されてしまった。残った私を見て「女は違うのか?」と周囲の声。ちょっと勘弁してよ。しかしまぁ、仲間に見えなくもない服装だったかもしれない。

ブリュッセルに到着後、すぐにブルージュ行きに乗り換える。中世の街並みというワードが記憶にあったんだけどまさにそう!どことなくリューベックに似ているけどもっと町全体が広く大きく、霧がかかった町並みはおとぎ話に出てきそうな美しさだった。ツーリストインフォメーションではすぐに安宿をいくつか教えてもらえた。なんとどこも安くて一泊1000円前後のところばかり。私が選んだのはなんと一泊約870円程度の宿。一階がバーになってて、二階が宿。6人男女混合部屋でオーストラリアからの女子二人いたのでひとまず安心。キッチンは自由に使えるので、スーパーマーケットで数日分の食材とお酒を買い込んできた。

しかしねえ、シャワー室が男女兼用で、ドアがなくまるで海の家のようなカーテン一枚。時々カーテンが人にあたって揺れたりするのでその都度中を覗かれているのではないかとヒヤヒヤ。3か月の旅の中でこの宿が一番安く、一番不用心だった。

ちなみに25年後の現在、ストリートビューで調べたらこんな感じ。手前から2軒目の建物だけど、ネットの情報では今はこの場所では営業してないようだ。

2025年6月16日月曜日

初夜行でオランダ(アムステルダム)へ

2001/01/21   25,000歩

本日の予定。 コペンハーゲンを出て、再び渡り鳥コース(列車ごとフェリーに乗る。今は廃線となったルート)でドイツに渡りハンブルグで乗り換え。3時間ほどハンブルグ観光した後にベルリンに向かい、アムステルダム行きの夜行列車に乗るという計画。頭の中はフランダースの犬とチューリップのお花畑状態。やっと私の旅にも春がやってくる🌷

(画像は列車の予約チケット)

このスマホのない時代。有力な情報は宿での旅人からの聞き込みが一番。モジモジしてたら何の情報も得られないので、言葉が苦手でも必要に迫られてなんとかやり取り。デンマーク最後の夜もしかり。そこでアムステルダムについての情報収集してたら、アムステルダムに行ったというシアトルから来たバックパッカーの女子が「アムスに行くの!?クレイジーだわ!」と言い出した。ええっ!?そして彼女は右手を口元に当ててクスリを吸う真似をした。なんとなくドラッグが合法であることは知っていたけど「クスリがしたくて行くの?ヤバいよ。カフェにはクスリのメニューまで載ってんだから」と言われると、根が真面目な私はすっかりビビってしまい、脳内からはフランダースの犬もチューリップも静かに消え去り、私の周りに売人が集まってくるイメージしか持てなくなってしまった。うううーーーん……

いや、アムステルダムにいる人全員がクスリ漬けで廃人になってるわけないやろ。しかし、「ヤバいよ!」も忘れられず。旅の目標のひとつであったはずの渡り鳥コースもなんの思い入れもない(ごめん)コペンハーゲンを去るということもあり、ぼんやりとしたまま過ぎて行ってしまった。かろうじて残していたドイツマルクをフェリー内から日本への電話代にあてた。次に電話する時はドラッグ漬けでろれつが回らなくなってるんじゃないかと勝手に心配しながら。ああ、今思えばあの時多少ハメを外していればネタにも困らなかったろうにと思わなくもないが、なにしろ旅は始まったばかりでまだまだ警戒心のカタマリだった私はアムステルダムに異常なまでに不安を感じていた。

アムステルダムに着くと雪だった。しまった。まだどこに泊まるのか決めてなかった。アムステルダムに前向きになれない私は、駅を出たり入ったり、その後は別の都市に向かう列車に乗ったり降りたりをバカみたいに繰り返して、古都デルフト行きに乗り込んだ。ベルリンのように宿探しで難儀するのではないかという不安も、列車に乗ってしまうと「なんとかなるはず」と前向きになれた。ところが、駅を降りて胸膨らませてツーリストインフォメーションに行くと「そんな安宿はない」とバッサリ。デルフトのホテル代は何食か食事を抜いたくらいで払える金額でもなく、途方に暮れる。居合わせたアメリカ人夫婦も何とか力になろうと職員に掛け合ってくれたが「NO」がやけにハッキリ聞こえてくる。申し訳なさそうにこちらを見る。もし私が英語を流暢に話せてこの夫婦に、足が痛くてお腹が空いて寒くて寒くて一分一秒でも早く1ギルダーでも安い宿を探したいって言えたら、言い終わる前に泣いてしまっていただろう。目を合わすのもやっとの状態で、ありがとうとだけ伝えて走って逃げるように駅に向かった。

あああ、急いでアムステルダムに戻って宿を探さねば。自分の中で今回の旅の宿は、いかに旅人と交流できて、いかにその土地ならではの個性があって、いかに安いかが決め手なんだけど、この際多少個性がなくて高くてもいいからユースホステル利用することにした。ハローアゲインアムステルダム。歩くのも限界なくらいの足の痛みだったので、本来歩ける距離だったけど路面電車を使うことにした。

ユースホステル最高。男女混合部屋で飲酒禁止だけどとにかく清潔感あって、ベッドも互い違いになって配置されてることである程度のプライベート空間が保てる。一部屋ごとに大きなトイレとシャワールーム完備で朝食込みで1500円程度。なーんだ、最初からここに決めとけばよかった。

やっと宿が決まったことで猛烈にお腹が空いてきた。こうなりゃ自分にご褒美だ!カマンベールとトマトがたっぷりの大きなサンドイッチと、自販機で売られていたカレー風味のコロッケ(激ウマ)と青森県民も驚くであろう甘くてみずみずしい青リンゴ🍏

歩けば歩くほど面白い街だった。ビールやタバコ、チーズ等など専門店が連なり独特の活気も気分を上げてくれた。ネットカフェ(サイバーカフェと呼んでた)に入ると店員からいきなり「ドリンクは?」と聞かれたのだが、あまりに警戒しすぎてて「ドラッグは?」に聞こえて毅然として「NO!」の一点張り。しばらくしてドリンクのワンオーダー制だと気が付いて赤面。PCは日本語使えなかったし、早々に退散。あーやだやだ。

飲酒禁止だけどこっそりユースホステルにビールを数本持ち込んで枕の下に忍ばせる。飲み始めた頃にアマノという黒人男性が入ってきて、インド音楽について2時間も話に付き合わされた。

フランダースの犬降臨。パトラッシュ…僕は疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ…   



2025年6月15日日曜日

デンマーク最終日

 2001/01/20

星野のおじさんに挨拶だけしようと誰よりも早くレストランに来た。おそらく話をするのはこれで最後だと思うから。

パン3種、フルーツ、シリアル、ハム、チーズ…

残金300円程度なので朝食はもう無理ってくらい食い溜めした。そして、星野のおじさんにも挨拶できた。この先、アイルランドとロンドンには行きたいって話したら、バスとフェリー乗り継ぎの情報を提供してくれた。さすが年の功。たまには役に立つな!笑

軽いノリなのが寂しさを感じさせなくて有難かった。星野のおじさんはあれからどれくらいして日本に帰ったのだろう。今となっては知る由もない。


さて、昨日寝る前に思いついたコペンハーゲンからデンマーク横断して西の端に位置する街に行ってみようという計画。目的地であるEsbjergへ。エスビアウと読むらしい。持っている鉄道乗り放題のユーレイルパスは一等席(ファーストクラス)も乗れちゃうんだけど、さすがに所持金300円程度で、いかにも貧乏旅な服装をしている私は気が引けてしまって2等席へ。今考えるとよく所持金それっぽっちで300Km近く離れた町まで(しかも何の前情報も無し)行ってみようと思ったなあ。それはそうと2等席はすでに予約客でいっぱいで、予約なんて必要ないと思っていた私は目をギラギラさせて席が空くのを待ち構えて、途中から運よく空席を見つけたのでなんとか座ることができた。(欧州鉄道の時刻表=トーマスクックには、その列車が予約いるかどうか記号で記されているのだが、今回の列車は不要になっていた。しかし実際にはほとんどの人が予約してたりする場合もあり、こればかりは乗ってみないと分からない)

エスビアウに着くとすぐに夕方コペンハーゲンに戻るための(バックパック持ち歩いて宿探しが大変なのと、次の都市に移動することを考えると宿泊はエスビアウではなくコペンハーゲンのままにしておくのが賢明と判断)列車の予約をした。もう無駄な気遣いはやめて、一等席を予約。なんとコーヒーまで付いているらしい。帰りの席を確保できたので短時間ではあるけれど安心して町散策に出掛けた。港町エスビアウは大都市とはまた全然違った雰囲気で、特にレンガ造りの住宅街が美しかった。繁華街も歩行者天国になっていて、静かで非常に歩きやすかった。私はこういう目的のない街歩きが一番好き。その地の住民がどんな家に住んで、どんな店でどんなものを買い、どんな日常を送っているのか想像することが非常に楽しい。なので必ずスーパーや市場に行って、よくわからない食べ物を買ったりする。記録に残すほどのこともない、しかし非常に楽しい街歩きをしたのはいいが、スマホのない時代&この街の地図がなかったこともあり、うっかり道に迷ってしまった。そんな時通りかかったお兄さんが、駅までの近道を教えてくれた。「Tak! Tak!(ありがとう)」こういう小さな交流あるのも嬉しい楽しい。

駅について堂々と一等席に乗り込む。やはーーり、一等席は快適。大きくてゆったりとしたソファのような座り心地の椅子。席の近くにはドリンクコーナーがあって保温ポットにコーヒーと、紅茶のティーバッグ用の白湯が用意されていた。そしてそして、チョコ付きドーナッツまで!空腹だったので涙が出るほど嬉しかった。ユーレイルパス最高。車窓を眺めるのも大好きで、飽きもせず外を眺めていた。どこまでも続くゆるやかな大地。風がないからか、木々には粉糖を振りかけたように白い雪が美しく付いていた。

夜、いつもの宿に到着すると部屋には日本人の女の子が!彼女ヒロコちゃんは5週間のユーレイルでの一人旅の最中だそうで、私がこれから向かおうとしているポルトガルやスペインからこっちに来たらしい。ビールで乾杯し、何か食べたいねと言って二人で財布の中身を出しあったところ120円程度しかない。お酒を買えるのが20時迄だったらしく、おとなしく2個入りのデニッシュパンを買って仲良く食べた。

翌朝早く彼女は次の土地へ旅立って行った。ほんの数時間だったけれど「会えてよかったね」と言い合える人に出会えてよかった。しかしヒロコちゃんもだけど、これまで会った旅人のうち何人かは都市ごとに一泊または半日滞在で移動するというスタイルだった。5センチくらいの分厚いガイドブックをバイブルのように抱え、そこに載っている場所を訪れ、ガイドブックに載っている場所に立って写真撮って帰るだけ。ひょっとしてその土地の風景よりガイドブック眺めてる方が長いんじゃないかと思えるくらい。旅はガイドブックありきなのかな。また、「移動が目的」のようにも見えた。ユーレイルパスが乗り放題だからだから、ユーレイル使わなくちゃ損だと思うのだろう。まあ、数年単位で旅をしている人から見たらガイドブックは持ってないだけで、私もヒロコちゃんと同類に見えるのだろうけど。

さあ、私は三か月で何を得ることができる?どんな旅ができるのだろうか。

2025年6月14日土曜日

デンマーク2日目

2001/01/19

初日のユースホステル以来の朝食付き(といってもパンや卵が置いてあるだけ)なのでレストランに行ってみると、星野のおじさんがすでにテンション高く若者たちと喋ってた。なんだあのパワーは。

今日は人魚姫の像を見に行くことだけは決めていた。気持ちを切り替えようと街を歩いてみたが、やはりあの楽しかった時間が恋しく、寂しさに押しつぶされそうになる。完全にリューベックロス。一人公園のベンチに座って凍った池に向かって石を投げる。氷が割れるまで投げ続けようとしたが、馬鹿みたいに思えてきてやめた。

人魚姫の像は、会った旅人たちからは「期待はずれ」と不評だったけれど私は全くそう思わなかった。寂しげな様子がまた自分の心境にもリンクしてしまいしばらく見入ってしまった。さんざん見世物にされた挙句期待はずれと言われるくらいなら、いっそのこと遠く静かな海に連れて行ってあげたい気持ちにすらなった。

雪混じりの雨が降り始め、いよいよ気持ちが落ちていく。わずかな小銭しかない私は、このお金を日本への電話代に使うかパソコンに使うかをさんざん悩んだ。リューベックでジムが日本語読めるパソコンに案内してくれたんだから、一国の首都であるコペンハーゲンのパソコンなら間違いなく使えるはず!という勝手な思い込みでパソコンの方を選択するも、日本語全く対応しておらず撃沈。あー、公衆電話なら日本と5分以上は話せたんじゃなかろうか…。(海外からメールも電話も自分の携帯電話で自由にできる今ってホントすごい)

昨日買ったパンを昼ごはんとしてかじり、部屋に戻ってゴロゴロする。モヤモヤして睡魔もどっかに行ってしまい、言葉の分からないテレビをぼんやりと眺めていた。

星野のおじさんは今夜パリ行きの深夜バスに乗るらしいけど、姿が見えないのでもしかしたらもう出掛けたのかもしれないな。もしくは暇さえあれば「地球の歩き方」(旅人のバイブルともいわれた旅行本)に投書(旅人からのリアルな情報をハガキに書いて送って、採用されたら本に掲載される)してるらしいので、どっかのベンチでせっせとハガキ書いてるのかもしれない。私は夜ご飯買うつもりが、デンマークのビール、カールスバーグとポーターを手に取りビール税込みで170円ほど支払って再びホテルに戻ってきた。なるべく出費を減らさなくては。お腹空く前に寝よう。

そう思ったところに星野のおじさんが現れた。「バスの予約チケット取れてなくてさあ!明日移動することにした」とのこと。旅慣れしてるみたいなのにこんな凡ミスするんだ。やれやれ。なんか話したそうなので、しばらく付き合ってあげよう。星野のおじさんからビールを1本もらってしばらくの間、これまでの旅についてこれからの旅について語り合った。なんだかんだ気が紛れた。そういや出発した頃には、次に日本語話すのいつだろうなんて考えてたけど、割と早かったな。

ダメだ。

コペンハーゲンにいてはダメだ。何も変わりそうにない。アンデルセンの故郷オーデンセに行こうか。いや、アンデルセンに特別興味がある訳ではないしな。全く違う風景が見たい。今私は、デンマークの東端のコペンハーゲンにいるから、まっすぐ西に向かって行くのはどうだろう。デンマークの西海岸から北海を眺めるのもいいな。ということで、地図を見てまっすぐ西側にあるなんて読むのかも分からないEarbjergという街に行くことを決めた。

やっと何かから抜け出せそうな気がしてきた。

アイルランド(ダブリン)

2001/01/27 長距離バスと船移動してる間にアイルランド人のおじいさんと仲良くなった。歯が抜けて時々なんて言ってるのか聞き取れないこともあったけど、とってもチャーミングで楽しくて。ダブリンに到着すると、彼はこれからさらに4時間かけて自分の住む街へ移動するんだとか!すごい!体...