㊲スイス→ハンガリー(ブダペスト)・・・いざ東欧へ

 2001/03/30

楽しかったスイスでのホームステイ生活も今日で終了。まず、一時的に帰省していたルシーナが今朝イタリアへ帰ってしまうので、朝早く彼女を起こしに行った。

朝食を食べながら相変わらず冗談ばっかり言いながらも、私の帰国までを案じてくれていて、その優しさにふいに涙がこぼれそうになる。雨の中、二人でバス停まで向かった。口の横に何かついてる、ついてない、そういやあの時はチョコ付いてたのに教えてくれなかった、私の方が優しい、いやいや私の方が優しいetc...そんなバカバカしいやりとりをして笑いあった後、珍しくルシーナがまじめな顔をして「姉がノゾミをここに来るように行ったこと、本当に感謝している。出会えて本当によかった」と。ダメじゃん、そんなこと言ったら寂しくなってしまうよ。でも約束してくれた。

「すぐに日本に会いに行くから」

そう言って、バスに乗り込んだ彼女は最後まで笑顔だった。その笑顔が硬かったことに私はすぐに気付いた。
一人で家に戻ると急に部屋ががらんと広くなったように感じられた。家にいても寂しいだけなので、初日の夜にルシーナと訪れたChurの街に行ってみた。昼と夜の違いなのか、一人と二人の違いなのか、まるで別の街のように感じられた。これまでルシーナやルシーナパパとのやりとりに意識がいっていたけれど、改めて街歩きをしてみるとスイスは車は歩行者に優しかったり信号を守ったり、いろんな発見があった。そして、これまでの旅ではあまり考えてこなかった帰国後の現実についてもあれこれ思いを巡らせた。
ルシーナのいとこの4才のドリーが来ているとのことで、家族のみんなに感謝の気持ちを込めて奮発してケーキを買って帰った。夕食はルシーナママの手作りピザ!生地もソースも手作りで、感激するくらい本当に美味しかった!そして、ママは大きな自家製パンを焼いてくれていて、夜行列車で食べなさいと言って渡してくれた。

22時。最初にルシーナパパが迎えに来てくれていた駅まで、夫婦二人が見送りに来てくれた。拙い英語力ではどこまでこの感謝の気持ちを伝えられたかわからないけれど、列車に乗り込んだ私が見えなくなるまで手を振ってくれて、出会えてよかったという確かな気持ちだけが私たちをずっと繋いでいるように感じられた。乗換駅で一時間、一人で座っているときにママが焼いてくれたパンをひとかじりすると、急に涙が込み上げてきた。
(スイスのローカル鉄道)
さあ!久しぶりの国境越え。ウィーン経由のブダペスト行き。私は終点まで乗る予定。
六人部屋の寝台列車で、初めての朝食付き。どうやらこの部屋(コンパートメント)に朝食は運ばれるらしい。炭酸水のサービスあり(2001年当時の日本には炭酸と言えばサイダ―などのジュースがほとんどだったので、無糖の炭酸水のおいしさはヨーロッパで知った)

疲れていたのか爆睡して、7時に車掌に強制的に起こされた。ほとんどの人が8時着のウィーンで降りるからって私まで起こす必要ないだろうに…。パン二個とジャム&バターと紅茶という簡素な朝食を食べながら、ハンガリー情報が一切ないことに今更ながら気が付く。通貨がなんなのかすら知らない。

9時半、オーストリアからハンガリー国境駅。東欧に入るからなのか、これまでよりパスポートチェックの時間がピリッとしている。まずはオーストリアの警察官が来て、そのあとハンガリーの警察官がスタンプを押す。
再び列車が動き出すと、ふっと肩の力が抜けた。車窓から見える風景も一変したように感じられた。飾り気のない質素な土壁の家にレンガの煙突。何が植えられているかわからない広大な畑。私にとって旅はこういう瞬間がたまらないのだ。きっと出会うこともない人々の日常を想像しながら流れる街並みを見るのが本当に楽しい。

しばらくすると列車の席に見知らぬ女性が座って「英語は話せるか?」と聞いてきた。何事かと思えばツーリストインフォメーションの人で、ただで地図をくれて安宿情報を提供してくれた。次に男の人が現れて「宿に行くなら駅から無料バスが出ている。ぜひ乗って行け」と教えてくれて去って行った。なになになに?親切すぎて怖いんですけど。私の顔に「ハンガリー情報ありません」とでも書いてあるのだろうか。
17時半、ようやく首都ブダペストに到着。これまで出会った旅人が「ブダペストは宿探しに困らない」と言っていた通り、列車から降りるなり宿の客引きが次々とやってきた。しつこいのでとりあえず列車で知り合ったスイス人の男の子とカフェに入って客引きが去るのを待った。彼はルツェルンの小学校教師だったらしいが、今は辞めてアートスクールに通っているとか。今からルーマニアに向かうそうで、私はブダペストのあとはチェコのプラハで生クリームのような泡のビールを飲むんだと話した。チェコは私が持っているヨーロッパの鉄道パスが使えないらしく、国境駅からプラハまでのチケットを購入する必要があるらしい。旅のことはやはり旅人から情報収集するのが一番だ。しばらく楽しく話をした後、私たちは「良い旅を」といって駅前で別れた。ルーマニアかあ。あと二週間あったら私も行ってみたかったな。

ブダペストではこれまで以上に英語が通じなくなった。何とか探していた宿に到着。一つの部屋にいくつものベッドが置いてあった。洗濯物を干す場所に困るが、まあいい感じ。

翌日はブダペストの街とドナウ川が見渡せる高台までやってきた。とても歴史を感じされる町並みで、静かで品を感じた。首都ということもあり通りは広く美しい。しかし、曜日のせいなのか活気を感じられず、古い建物が息をひそめてじっとこちらを見つめているようなそんな印象を受けた。


街の雰囲気と逆に、宿ではヨーロッパのパリピな旅人たちが「今から朝の五時まで温泉でパーティーあるから行こうぜ!!」と騒ぎまくってて、私はただでさえ英語がうまくないのに騒がしいところで話が聞き取れるとも、楽しくなるとも思えず辞退。しかし朝五時までって。笑
その代わりシベリア鉄道に乗って東京まで行くというアメリカ人とずっと会話を楽しむことができた。