㊴オーストリア(ウィーン)・・・突然の予定変更

 2001/04/02


深夜、ブダペスト発ウィーン行きの寝台列車に乗るとすぐに爆睡した。ハンガリーを出るときとオーストリア入国の二回のパスポートチェック以外は完全に熟睡してて、終点のウィーン西駅で車掌に叩き起こされた。寝ぼけまなこをこすりながら、急いでプラハ行きの列車が出るという南駅まで移動しなくてはならない。

幸い少額なら両替をしていたので地下鉄の切符を買おうとしたら機械に入らない。仕方なく近くのパン屋でパン買って両替しようとしたが「無理」とのこと。「売れない」とまで言われた。アジア人差別なのか?

一旦冷静になってみる。すると手に持っていたのがここオーストリアのものではなくチェコのお金であることに気が付いた。あ・・・、そっか。私はハンガリーから直接プラハに行くつもりだったんだもんな。力なく苦笑いして立ち上がると、知らないおじさんが「どうした?どこに行きたい?」と話しかけてきた。さっきのパン屋さんがアジア人差別したなんてとんだ勘違いしたのも申し訳なかったので、このおじさんには丁寧に返事をしてみる。

「南駅からプラハに向かいたいんだけど、何時に出発かわかる?」

するとすぐに現地の言葉で書いてある案内を調べてくれて、今日の列車には間に合わないことが分かった。その時、全く想定していなかった考えが降りてきた。

プラハを諦めようか

あれだけ憧れ続けたプラハ。
みんなにプラハでビールを飲むんだと宣言してきて、最後に訪れる都市として一番楽しみにしてきたプラハ。そのプラハを諦めるという全く想像しなかった考えに、なぜか心が軽くなるのを感じた。
続けておじさんに問いかける。「帰国まであと3日。私はわざわざプラハに行く必要があるのかな」すると「押しつけはしないけど、ウィーンは良い街だ。ゆっくり楽しむ価値はあると思うよ」との返事。そして、おじさんも20年前に私みたいな一人旅をしていたらしく「気持ちわかるよ」と何も言わず急かさず、私が思考を巡らせている間じっと隣にいてくれた。しばらく悩んだ末、

I don't go to Prague! I enjoy to stay Vienna. (プラハにはいかない。ウィーン滞在を楽しむ)

そうおじさんに伝えると、ただただ満足そうな笑顔で頷いてその場を去って行った。よし、決めた。プラハにはいかない。

(ウィーンの路面電車(トラム))

スイスのルツェルン駅に貼ってあったウィーンの安宿情報がリュックに入っていたので、それを頼りに30分ほど歩いて宿を見つけた。Believe-it-or-not(信じようと信じまいと)をいうヘンテコな名前の宿だったが、その時の私はプラハを諦めたことが正解であることをただただ信じて、この宿がいい場所であると信じてチェックイン。なんとこの旅最安値の一泊約770円!もちろんドミトリーだったが、みんながちゃんと気を使いあっていてとっても感じの良いホステルだった。

(宿の入り口)

(宿の共同キッチン)

街に出ると、想像以上に大きな町であることに驚く。いや、そりゃウィーンだもんな。建物すべてが美術館のように見える。そして、この美しい街を眺めながら市庁舎近くにあるマレーシア航空のオフィスを訪ねた。リコンファームと言って、飛行機に必ず乗りますという予約再確認を搭乗の72時間前までに済まさなくてはならなかったので、まずは忘れずにその手続きを済ませた。(2026年現在は大半が不要になったと思われる)

手続き終了のチケットを渡されたとき、日本に帰るカウントダウンが始まったようだった。公園のベンチに腰掛け、さっき渡されたチケットを眺める。私にとってこれは単なる航空券ではなく「夢から現実のチケット」であり、ぼんやりとした。

ウィーンの公園でこうして座っていることも、
ブダペストの橋からドナウ川を眺めたことも、
ハイジの村でルシーナと口笛吹いて笑ったことも、
氷河特急で圧倒的な大自然を眺めたことも、
バルセロナでフランシスコとガウディ建築見て回ったことも、
グラナダでルトフィたちとカフェコンレチェ飲んだことも、
カピレイラ村で市村さんが私が土を掘るのを眺めてたことも、
トレドで露出魔に会ったことも、
リスボンのオープンカフェでお茶することも、
ポルトの湿った安宿で雨音を聞くことも、
雨のマドリッドを高熱で走ったことも、
サンセバスチャンの丘の上から光輝く海を眺めることも、
カレーで初めてコントレックスを飲んだことも、
ドーバー海峡の白い壁を見て胸を熱くすることも、
ロンドンの街歩きをしたことも、
アイルランドで父と異国での生活を体験したことも、
ブルージュで中世にタイムスリップしたような気持ちになったのも、
アムステルダムの朝の運河の霧が美しかったことも、
初めての夜行列車で見知らぬ青年とビールで乾杯したことも、
コペンハーゲンで旅する意味を探そうとしていたことも、
リューベックでの賑やかな夜のひと時も、
ベルリンの雪の中で諦めかけた安宿探しも、
空港まで見送りに来てくれた母と友人の笑顔と私の緊張も

書いてなければ忘れてしまいそうな小さなことも、全部素晴らしい思い出。全て現実だった。
一つ一つの経験が宝物となってこんなに鮮明に記憶残っているけれど、このチケットを使ってしまえば終わるのだ。まるで全てが夢だったかのように、記憶の中だけのものになってしまうのだ。
手のひらから砂がこぼれ落ちていくのを眺めている気分だった。残った砂はほんわずか。最後の一粒までしっかり記憶に残していこう。そう決心して立ち上がった。