㉗スペイン(グラナダ)・・・カピレイラ村で庭師となる

2001/03/11

優しくドアをノックされる音で目を覚ますなんていつ以来だろう。窓を開けると、鮮やかすぎるほどのブルーの空と温かな風が頬を撫でる。 テラスに出て、白い壁に囲まれた美しいカピレイラの街とその奥の雪をかぶったシエラネバダ山脈を眺めると「これは夢なのかな」と思う。

(画像が消えたためプリントアウトした写真を撮影してます。画質悪っ)

いや違う。

昨夜は隣の市村さんの部屋で深夜2時まで「日本のバックパッカーは今のことしか考えない」と散々説教されたことを思い出す。私が何を言っても否定してくるので、最後は自分の意見をグッと飲み込み市村さんの話を聞く側に徹したんだった。市村さんは岩手県は盛岡市に生まれ、東京で画家を目指していたところ37歳で突然スペインで修行しろと日本を追い出され、偶然が偶然を呼んでこの村で活動することになったらしい。それから35年ほどの月日が流れたという。私たちが眠い目をこするのを気にすることもなく文学、映画、音楽について延々と一人で話していた。

朝日を浴びたときとは違って、ちょっと重い足取りでウラノさんと共に市村さんの部屋へ挨拶に行く。市村さんがいかに日本が恋しいのかは台所を見ればすぐにわかった。どこで手に入れたのか、かつおだしに海苔、高野豆腐に塩昆布などなど日本食だらけ。この日の朝はぬるめのお湯で玉露を入れてくれた。散々説教された翌朝、どんな顔をしたらいいのかなんて考えていたら、市村さんの方からこんな提案をしてきた。

「五日後、ウラノさんと日本に向けてここを出発するのでそれまでノゾミもここに滞在しなさい。宿と食事を提供する代わりに、うちの庭師として働きなさい。私たちが発った後は、グラナダにある私の友人の家にホームステイしなさい。アラブ圏の生活を経験できますよ」

勝手に私の旅のスケジュールを決めてることに唖然としたが、昨夜あれほど私のこと否定ばかりしていた人が、実は私の今後について心配し考えていてくれたことが意外で、ちょっと嬉しかった。いつの間にかウラノさんとも話し合って決めてくれたようで、頷くウラノさんの表情を見たら安心できた。

さて、午前中庭に出ると市村さんから顎で使われることとなった。望むところだ!買ってきたばかりのパンジーをはじめとする色とりどりの花の苗を指示された場所に植えていく。アンダルシアの太陽に近い場所で土いじりなんて、結構なことじゃないか。泥んこになって働く私の様子を見ていたウラノさんもハイヒールだというのに私の隣にやってきて土を掘り始めた。「汚れちゃいますよ!」という私に「大丈夫よ!」といって笑うウラノさん。私たちの様子を市村さんは優しいまなざしで見守ってくれていた。

そして午前中の軽食(アルムエルソというらしい)として、隣にある民宿「メソンポケイラ(maison poqueira)」から生ハム&チーズ&バゲット、白ぶどうジュース、カフェコンレチェ(カフェラテ)が運ばれてきた。メソンポケイラは、市村さんのマネージャーであるフランシスコの双子の兄弟が経営しているということもあり、市村さんにとってのもう一つの家であり、市村さんの絵画が集められたギャラリーでもある。

控えめにいって最高!!!

生ハムがこんなに香りがいいとは!白ぶどうジュースはサッパリしていて、ワインの代わりとして十分だった。こんなご馳走を頂けるならどれだけでも働けそうな気がする。

午後からも植木を植え直したり、食べごろのニラを収穫したり、あちこちにある堆肥の山を一カ所にまとめたり。こんなところでこんな汗をかくとは思わなかったけど、とんでもなく清々しく気持ちのいいものだった。

ウラノさんと市村さんは2人きりになると思い出話に始まり、世界情勢から文学の話まで難しいことを楽しそうに延々と語り合っている。多少は分かるかな?と、私も近くに行って話に聞き耳を立てていると、またまた市村さんが「日本人観光客にスペインの現実を伝えず野放しにしている日本の外務省はどうなってるんだ」と怒り出すので、あわてて野良作業に戻る。市村さんは私が憎くて言ってるわけではないのは分かるが、本来ウラノさんと市村さんが二人で久しぶりの再会を喜ぶはずの時間に私が邪魔をしているような気がしてきて、早めに仕事を終わらせて、やっぱり明日にはここを離れようと心に決めた。


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