㉜スペイン(グラナダ→バルセロナ)・・・フランシスコとの再会。アスタルエゴとタントティエンポ

 2001/03/20

グラナダ最終日。朝は半分に割ったピタパンのうち1つにはサイダ特製マーマレードを、もう1つにはデュカという中東のスパイスという私の中でベスト1.2のアイテムを挟み、ミントとカルダモンを煮出したアラビア風のお茶をいれていつものテラスに行くと、学校をサボったサイダと出勤前のルトフィがいて、最後に3人で朝食を食べることができた。

サイダが家にいる日は私が昼ごはん当番なので、アルバイシン市場まで野菜を買いに行った。最終日は思いっきり和食で、切り干し大根と人参の炒め煮、キャベツとピーマンとツナの和え物、だし巻き玉子、揚げナスの煮浸しを作った。この街でのこんな「生活」も今日までだなんて。昼食後にはテラスでこっそり英文で感謝の気持ちを手紙にしたため(翻訳アプリがある時代でもないので大変だった)、事前にさりげなく聞き出していた好きな色を参考にサイダとみゆきさんに花束を買って(英語通じないから花屋での注文困難極まりなかった)、夕方それぞれ渡しに行くことに。

花屋から戻った私に、一緒に果物を食べようと誘っきたサイダに花束を渡すと、驚いて、今にも泣き出しそうな表情になったので「みゆきさんに会いに行く」と逃げるように家を飛び出してしまった。サイダの涙を見てしまったら、出発するという私の決意が揺らぎそうだったからだ。みゆきさんにも花束渡すと、こちらは言葉が通じることもあって私の心の中のいろんなものがほどけていって緩み、涙が止まらなくなった。会えてよかった。本当に素晴らしい出会いだった。そこへルトフィがやってきて、いつものように怒ったフリした顔をして「何でここを去るんだっ!」とわざと大声でそんなことを言いだしたので、私はすまして「カフェコンレチェと替えられるのがイヤだから」と言うと、店内大爆笑。そして笑って笑って、笑いながら誰からともなく皆で「アスタルエゴ」=「またね」を繰り返した。

サイダのところへ戻って荷物をまとめていると「必ずスイスの実家に寄って」と連絡先を渡された。そしてついに別れの時。喉が詰まって声が出ない。大好きなサイダ。本当にどうもありがとう。交わす言葉はやはり「アスタルエゴ」。

大好きな人達に出会えたグラナダ。たくさんの宝物を胸に笑顔でアルバイシンをあとにした。

さあ!

初の寝台列車“Talgo Hotel”。客車は四人部屋。ベッドは折りたたんであって椅子が4つ。早めにゴロンと横になりたかったので、同室のおばあちゃんに「ベッド、出さない?」とジェスチャーで聞くと「まだまだ」と断られた。向かいあわせの椅子にいつまで座っていたらいいのだ……と心の中でぼやくこと数時間。車掌さんがやって来て、専用の道具を使ってベッドをだしてくれた。あ、自分たちで勝手に出せるものではなかったのね。フカフカの枕に暖かいブランケット。目が覚めたら再びグラナダだったらいいななんて思いながら、すぐに夢の中へ。

翌朝8時。おばあちゃんの遠慮ない物音で目が覚めると、車窓には海が光っていた。地中海だ!

海といえば、リューベックからコペンハーゲンに向かう渡り鳥コースでフェリー上から、デンマークの西端の街から、ベルギーからドーバー海峡渡る時、イギリスからアイルランドの夜行バスで、イギリスからフランスの港町カレーに渡る時、サンセバスチャンの街で、ポルトガルはユーラシア大陸の西端ロカ岬、市村さんと出会った日にパエリアご馳走になった店……

旅の道中で見てきた海を思い出しながら、エネルギーに満ち満ちたスペインの海に元気をもらい、ようやくバルセロナサンタ駅到着!

久しぶりの知らない駅。大都市ということもあり、宿探しも楽だった。安宿を選んだつもりが行ってみるとユースホステルで、久々の冒険心がなんとなく肩透かし食らった気分になったけどまあいい。チェックインだけ済ませ、荷物を置かせてもらってまずはネットカフェへ。いやあ、大都市バルセロナ素晴らしい!なんと珍しく日本語が入力できるPCが完備されていた。たまっていたメールの返信をし、アイルランドはキラーニーで出会ったフランシスコにバルセロナ到着を伝えた。その後はアテもなくただひたすらに街歩き。これが私にとって最高の旅の仕方。暑かったので古着屋でTシャツを購入し、ラビオリと林檎のパイを風の心地いい公園で食べ、市場をのんびりと見て歩く。通りは大道芸人やペット売りや美しい花屋で賑わっていた。

翌日。早々と起きてすぐに身支度を整え、今夜中にバルセロナを発つので荷物をまとめた。ネットカフェに行くとフランシスコからメールの返信が来ていて、今日の10時半に指定したカフェで待っていてほしいとのこと。カフェはすぐに見つかり、私はまるで通い慣れた客のようにカフェコンレチェを注文し、席に座ってフランシスコを待った。

10時40分。アイルランドでは真冬の格好をしていたフランシスコが、涼し気な夏服で登場。

「タントティエンポ!!」=「久しぶり!!」

再会をとても喜んでくれて、バルセロナの町を、旅人が通りにくいような旧市街の路地からサグラダファミリアを始めとするガウディ建築まで存分に案内してくれた。サグラダファミリアは入ってみるとまるで地下鉄の工事現場のようで(2001年現在)想像と違っていたけれど、フランシスコが教えてくれるミステリアスな数字の謎や彫刻についての説明に、ガウディの頭の中は一体どうなっているのかと唸るばかりだった。

ランチをご馳走になり、楽しかった時間もあっという間。私はユースホステルに旅の荷物を取りに行き、二人で鈍行列車に乗った。私は国境駅セルベールまで、フランシスコは途中のフィゲレスという街まで。残り2時間の二人の時間は、宗教のことや仕事のことなど、互いの英語の能力を駆使しまくっての会話。フィゲレスは思ったより大きな街のようで、駅が近づくにつれ列車内は多くの人で混雑してきた。いよいよお別れの時…と目を合わせた瞬間に突然強く抱きしめられ、人目もはばからずそのまま長い長いキスをされた。アイルランドに引き続き、油断した。こんなことは日本ではありえないので、ロマンチックというよりは真っ赤になって焦りしかない私。

そっと唇が離れた時のフランシスコはとても寂しげで、泣きそうな表情で「アスタルエゴ」と言って列車を降りていった。一方の私は、放心状態から一転、車内に日本人がいませんように!日本人に見られてませんようにと心の中で祈りつつ、心は既に次の土地イタリアに向かっていた。



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