㉞スイス(ルツェルン)・・・本当にスイスは美しかった!



2001/03/25

ミラノのホステルで、翌朝出発のための準備をしていたらルームメイトが「時計合わせた?」 と聞いてきた。

"Summer time is back."

なんと、サマータイムが始まったらしい!こんな中途半端な日に?!ホステルの受付にも注意喚起するアナウンスが貼られていたらしいが、全く気が付かなかった。時間は23:30だったはずが、24:30に変わっていた。

翌朝、仲良くなった日本人と7:30に朝食を一緒に食べる約束をしていたけれど姿を現さなかった。きっと彼らの時計はまだ6:30なのだろう。サマータイムであることを教えてもらったおかげで、予約していた列車にも間に合った。危なかったーーー!

スイスまではきっと眺めがいいだろうから一等車を予約しておいた。やってきた列車の終点はスイスを通り越してドイツはハンブルグ。ドイツ語を見るのは旅を始めた時以来なので、なんだか随分遠くまで旅をして戻ってきたような感慨深さだった。

10時半頃スイス国境駅に着くと、車内にてパスポートチェック。虫眼鏡のようなもので裏表じっくり見られ、しかも1人ずつ荷物を開けて見せるという徹底ぶり。こ…こんな時に限って生乾きの下着を1番上に広げて入れてた私。隣の人の目線まで気になり、気まずいったら仕方ない。

そんなこんな無事に国境を越え、さあ、来たぞスイス!すごい風景だ!!

高い山々の間に線路が伸びていて、岸壁からはあちこちから滝のように水が流れ落ちている。澄んだ川は魚でも見えそうな透明度で、遠くの雪山が眩しく見える。自分が目にしている風景が現実のものとは思えなかった。

ルツェルン駅到着。思ったより近代的でインフォメーションもばっちり。宿もすぐに見つけることができ、荷物を置いて街散策開始。こんな風にサクサク物事が進むのは非常に気持ちがいい。屋根付きの木造の橋は観光名所にもなっているらしく、観光客で賑わっていた。

しかし駅前に広がる湖も嘘のように美しく、景観全てが完璧に整っていてただただ驚く。これがカルチャーショックというものか。
なんと犬のフンを入れる専用のゴミ箱とビニールが街角のあちこちに設置されているのもビックリ。

あまりに気分が良かったので(という理由も理由になってないが)旅をして初めてマクドナルドに入ってみた。だって店舗の入口に「スイス味!期間限定」みたいなのが書いてあるんだもん。そりゃ外国人は惹かれるでしょ。しかしまあ、超贅沢!超奮発!
いつだったかパン屋で買ったグルジアパンとやらに似た、粉を振ったモッチリとした食感のバンズにハンバーグとチーズソースがたっぷり。舌をやけどしそうなくらい熱々のポテトがまたサックサクで、あまりの美味しさに震えた。値段はとんでもなく高かったけど、一生忘れることがないくらい美味しかったんだから今にして思うと安いものだ。

(大事に持ち帰ったマクドナルドのトレーの上に敷いてあった紙。私が食べたのは一番左のマックエメンタール!)


ホステルは4人部屋に私1人。清潔感があり非常に気持ちがいい。そして、思い切ってスペインでお世話になったサイダの実家に電話をかけてみた。
どちらさま?なんて言われたらどうしよう…。緊張しながら呼出音を心の中で数える。電話に出たのはサイダの父親と思われる男性。
「ワタシはNozomiと言います…」すると、サイダから話は聞いていたようで「やっとスイスに来たか!」と歓迎ムード。明日、Chur駅まで迎えに行くからそこまでは来れるかい?と。ええ!ええ!もちろんです!!久しぶりに待ち人に会う高揚感を抑えながらスイス初日の夜は早めに就寝。

翌朝はロビーでロッカーのキーを返却と同時にパスポートを返してもらい、ルツェルン駅へ。一旦チューリッヒに向かい、そこでChur行き快速電車に乗り換え。切符を見に来た車掌さんが「メルシー」「ダンケシェーン」の2ヶ国語を使っていた。そうか、スイスは多言語国だもんなぁ。そんなことに感心しているうちにChur到着。いやぁ、おじさんいっぱいいて誰がサイダのパパなのか分からないよ。と、思っていたら一人優しそうな初老の男性が近づいてきて「Nozomiだね?」と声をかけてくれた。サイダが、ノゾミはオレンジ色のバックパックを持っていると伝えてくれていたらしい。優しそうでわかりやすい英語で挨拶してくれて、私の緊張も一気にほぐれた。
二人でバスに乗って自宅に向かうと、なんとそこは薪がたくさん積まれ、馬小屋付きの大きなお家。
ママが明るく出迎えてくれ、私のためにとお手製のラザニア、アスパラとじゃがいものサラダ、パセリたっぷりの手作りドレッシング、生ハム、生のイチゴにほんの少しの砂糖とカルダモンとオレンジジュースをかけたデザート(初めての味!)にエスプレッソ(アメリカンなんてコーヒーとは言わないらしい笑)を用意してくれていた。ここから私の忘れられないスイスでのホームステイ生活が始まった。