㉟スイス(Chur、Felsberg、St.Moritz)・・・言葉が通じなくても友情は芽生える
2001/03/26
部屋はびっくりするくらい広くて綺麗!私にはサイダの部屋を使うよう案内されたけど、シャワールーム付き。まるでホテル!
温かい夫婦と共に美味しいランチを食べたあと、私はパパとライン川のほとりを散歩して街散策をした。ライン川なんて社会の授業で習ったけど、私がその川のほとりを散歩する日が来るとは夢にも思わなかった。普通の川と言えば普通の川だけど、「あの有名な」と言われるとすごい気もして、結局実感がわかないと思いながら歩いていた。
帰宅するとサイダの妹であるルシーナがいた。年齢は私のひとつ年下で25歳。黒髪のサイダと違って金髪のブルーアイズ。新聞社に勤めるジャーナリスト。勝手な想像でキツい性格なんじゃないかと身構えたが、話すとイメージは180度違ってた。とにかく明るくてフレンドリー。夕食後に「疲れてないならクール(Chur)のナイトライフ体験しない?」と誘ってくれて「もちろん!!」と即答すると、二人で自転車に乗って市街地へ。「自転車乗れる?」「幼稚園児じゃないんだから当たり前でしょ」「おっと失礼!笑」そんなやりとり一つで心が通じ合う。春が訪れたばかりのスイスの夜風がとにかく気持ちよくて、お互いカタコトの英語に笑いながら自転車を漕いだ。
オールドタウンの薄暗いバーのカウンターで、まるでしばらく会ってなかった幼なじみのように、仕事のこと、家族のこと、趣味のことなど話をした。ルシーナはざっくばらんでフレンドリー。ボーイッシュで知的好奇心に溢れていた。特に日本の文化に興味を示し、会って数時間というのに5月には私に会いに日本に行くと言い出した。お互いに苦手としている英語を使うことが余計に心の距離を近くしたようで、分からない単語は連想ゲーム。私たちだけにしか通じない言語やジェスチャーまでも作り出した。深夜12時に笑い疲れてフラフラと自転車を漕いで帰宅した時には、私たちは既に言葉の壁を越えた親友になっていた。
翌日はルシーナと二人でベルニナ急行に乗ってスイスらしい列車旅をすることにした。パノラマカーで眺めは最高!天気も最高!夢のような車窓!
ポスキアボという街で一旦下車し、レストランでランチを。メニューの読み方がさっぱり分からなかったので、ルシーナが「注文はまかせて!肉は好き?」と聞いてきてくれたので「大好き」って答えたらおすすめのメニューを選んでくれた。頼もしい!
ところが運ばれてきたものはチーズたっぷりのクレープに、乾燥肉がパラっとトッピングされたもので、ナイフでカットしてみても、裏返しにしてみてもどこをどう探してもトッピング以外に肉が見つからなかった。唖然としてお互いの顔を見た瞬間ふたりとも吹き出してしまい、しばらく悶絶するくらいに大爆笑。「ごめん!肉がこんな…こんな…(笑って言葉が続かない)」「ルシーナ、実はあなたもメニュー読めないんでしょ?」それからさっきのルシーナの得意げな顔を思い出しながら「肉は好き?」と聞いてきた時のモノマネをしては二人でツボって震えていた。
その後も、見知らぬ人に手を振ってみたり、チケットを見に来た車掌さんを盗撮したり、まるで子供のいたずらのようなことばかりをして笑ったかと思えば、日本やスイスの家族についてや日本語という言語についてまじめに話したり。
彼女と一緒にいる時間が本当に楽しく刺激的だった。
とにかく景色が美しく、スケールの大きさにただ圧倒されるばかり。こんなところに住んでいたらこの美しさをどう捉えるのだろう。もうすでに5月にルシーナが日本に来たらどこを案内したらいいのか悩み始めた。
そしてさらに次の日には、今度はルシーナが運転する車に乗ってハイジの村までドライブ。
入館チケットはバーコード(左上に貼っている入館カードの裏側が下の画像)。バーコードだなんて当時かなり先進的だったことに驚いた
「アルプスの少女ハイジ」は日本のアニメだけど、ハイジについては小説や映画でスイスの人は全員知っているお話しなのだとか。山奥をイメージしていたけれど、町からすぐのところに「ハイジの家」という三階建ての山小屋があり、ハイジの生活を再現したちょっとした博物館になっていた。そして、ハイジが日本でも有名であることを知ったルシーナは「ちょうどいい!」と、私を映画館に連れて行き、現在上映中だというハイジの実写版映画を一緒に観ることに。ドイツ語だったけど、お子様向けだったので大体理解できた。しかし舞台は現代だったので、わがままなクララはヘッドホンでロックを聞きながらアイボ(SONY社のペットロボット)を壊したり、ハイジがネットカフェに行ってペーターにメール送ったり…。残念ながら違和感だけを記憶に残すことになった。
それより新鮮だったのは、ガソリン入れに行くと言って向かったのが隣国リヒテンシュタイン。国境があるとは言われなければ全く気が付かなかった。もちろんパスポートチェックもなければ警察もいない。まあそれでも訪問国が一つ増えたことには違いない。リヒテンシュタインの国旗が掛かれた看板を見ながら、このあっけなさに思わず笑ってしまった。
そんな楽しい時間を過ごしながらも私の旅はタイムリミットが近づいていた。二日後にスイスを発つため夜行列車を予約しに行った。いつだったか旅人から「プラハの生ビールは泡が生クリームのようだ」と聞いて以来、私の目的の一つでもあるプラハに急がねばならない。4月7日にはウイーンから帰国ということは決定しているので、いつまでものんびりしていられないのだ。それにしても旅をするには最低三か月は必須だなと思う。やっと慣れてきた感じがするのにもう間もなく終わりかという寂しさと、終わりを決めておいてよかったという安堵感が入り混じる。
その前に、隣にいるルシーナとの別れがあることが何より胸が痛むのだった。

