2025年7月23日水曜日

フランス(カレー)→フランス(パリ)・・・野球部顔負けのパリ散歩

 2001/02/20

ユースホステルの朝食はバケット、コーンフレーク、紅茶、コーヒー、オレンジジュース。茶色い粒々したものは、シリアルの一種かと思ったらチョコレートドリンクの素だったらしい。アジア人に馴染みないものに出会うとちょっと嬉しくなる。

カレー駅で久しぶりにユーレイルパスを見せると「ノープロブレム」と改札を通らせてくれた。切符を買うのに手間取っている旅人を横目に、颯爽と改札を抜ける。これが非常に気持ちがよく、水戸黄門が印籠を出した時の気分はこんな感じなんじゃないかとどうでもいいことを想像してみる。パスを使って1等車両にも乗れたけど、身分不相応な気がしてしまうのであえて2等車両に乗り込む。車体も、列車のドアの色も、客席も、フランスというだけで全てがオシャレに見える。いざ、パリまでの三時間、フランス鉄道の旅始まりだ!


ところで、フランスに着いて念願叶って世界最高硬度の水「コントレックス」を購入。2001年当時の日本では店頭で見かけることはなく、本で読んだだけの知識だったため、本場で売られているのをみてひどく感動した。また、ボルヴィックやエビアンという日本で見たことのある水もイチゴやレモン、ブドウなどのフルーツフレーバーの種類が豊富でびっくり。いやいやいいね。こういうの非常にいいね!

気分よくパリ北駅に到着。ブルージュの宿で会ったマリアからパリの安宿情報をもらっていたので、早速宿に向かうとまさかの満室。え!オフシーズンなのにこんなことあるの??

仕方なくロンドンの宿で聞いたバスティーユ広場近くの宿に行くと、住所の書き間違いか?全くたどり着けない。パリのオーステルリッツ駅に行くと、ツーリストインフォはパリリヨン駅だと言われ、もうすでにパリという街の大きさを感じてうんざりし始めた。

かくかくしかじか(宿探しが大変すぎて説明するのもしんどい笑)ようやくリヨン駅近くの安宿に辿り着いた。荷解きを済ませ、身軽になって改めて街に出るとさすがパリ!見えるもの全てがスキ無く圧倒的輝きを放っているように見える。威圧感すご!

小腹が空いたのでパン屋で一番安いバケット(57円程度)と、スーパーでパテと洋ナシを購入して公園で食べると、え!と思わず声が出るほどパンが美味しい。ユースホステルの朝食のパンもだったけど、やっぱりビックリするくらいパンが美味しい。

曇り空でもエッフェル塔は美しい。



宿に戻るとたくさんの日本人が宿泊しているようだった。話を聞くと、ほとんどが大学生で卒業旅行で来ているらしい。なるほど!だから満室の宿もあったわけだ。初めての海外旅行という子も少なくなく、ガイドブックに赤丸付けて片っ端から観光地巡りを計画している子がほとんどだった。中には「ミシュランの星付いてる店を回る」という男の子もいて「そんなにグルメなの?めっちゃお金かかるね」と言ったら「いや、食事はしないっす!有名店の前で写真を撮るのが目的っす」という子も…。ああ、同じ日本人としてそれは恥ずかしい…なんてことは言えずに話を聞いていた。

翌日は徹底的にパリを歩き回るつもりで、宿で地図を頭に叩き込んだ。宿を出ると、大学生のキヨノリ君が、バスティーユ広場に行きたいというので道案内をしてあげた。すると、私のパリ散歩に同行したいという。いや、私めっちゃ歩くよ?と言うも「野球部なんで全然平気」とのこと。まあ、困ったら撒けばいいか(ひどい笑)…と思いながら歩き始めた。

パリリヨン駅からざっとバスティーユ広場、ルーブル美術館(見学は以前したことがあったので、今回は通るだけ)、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門、エッフェル塔、サンジェルマンデプレ教会。私の目的はとにかく街歩きをすること。観光地はそのポイントに過ぎない。

この地図だけ見ると近そうに思うかもしれないが、なんとこの日は33,000歩歩いた。

キヨノリくんは中央大学で経済を学んでいるとかで、パリにいる間にシトロエンやプジョーなどを訪れて車の流通や販売促進など経済に関することを学べたらと思っているらしく、私なんかよりしっかりとした目的をもってこの地にやってきたことを素直に尊敬した。
そして、気が付けば本当に楽しい観光になってた。
凱旋門ってナポレオンが死んだ後にできたから、ナポレオンは遺体になってからここを通ったらしいとか、エッフェル塔はこの渋い色合いがパリの街に馴染んでていいよねとか、サンジェルマンデプレ教会はフランス最古なだけあって、古くて品があり、彫刻より壁画が多かったのが印象的だよねとか、こういうことを話せる相手がいるってほんっと素晴らしい。
とはいえ、キヨノリくん後半はかなりバテ気味で、宿に戻ってからみんなと談笑しているときに「女の子に負けてたまるかと、必死になって付いて行った」とこぼし「でも、歩いてよかった。歩いたからこそ理想の一日になった」と言ってくれた。ああ、よかった!!!
このキヨノリくんとは、帰国後一回だけ東京で会って、蕎麦を一緒に食べた記憶がある。十数年後にはSNSでも繋がることが出来、彼は現在起業して社長として活躍している様子。

食事は昼も夜も買ってきたバケットにパテ塗って、チーズやトマトなどをサンドして食べた。しかしもう何もかもが美味しくて、ちょっとびっくり。目に見えるもの、口にするもの、なにもかもが完璧すぎて、パリって私にはちょっとだけ居心地が悪い場所のような気がしてならなかった。

2025年7月19日土曜日

アイルランド→イギリス(ロンドン)→フランス(カレー)・・・一人旅再開

 2001/02/12

父の元を離れる直前から突然体調が悪くなった。とにかく胃が痛い。何を食べても気分が悪く、胃の痛みが治まらず、薬局で拙い英語で症状を訴えて胃薬を買うがイマイチ効果なし。

ずばりストレスでしかないと思う。特に宿探しを想像すると吐き気までしてくる。また駅や観光案内所で安宿のチラシを探して歩きまわるのか…。この10数年後には携帯電話で宿探しできるなんて当時は想像もできなかった。

最後に父のPCでEメールをチェックし、親しい友人たちには「またしばらく連絡できなくなる」と書いて送信。そして、父には感謝の気持ちを綴った手紙と、少し早めのバレンタインデーのチョコを渡した。父も寂しくなるだろうな。そしてバス乗り場で父が「ヨーロッパならしょっちゅう出張が入るからまたどこかの都市で会おう」と言ってくれた。その言葉に希望を抱きバスに乗り込む。体調を心配して見えなくなるまで手を振ってくれた父。本当にどうもありがとう。1年間海外生活なんて、今更ながら本当に尊敬するよ。


翌朝、ロンドンのビクトリアコーチステーション(バス乗り場)に到着。ロンドンは大学時代の短期留学含め過去に3回来たことがあったので、一旦一人旅の感覚を取り戻すリハビリ的な時間として効果的だった。ビクトリア駅近くの安宿は、壊れそうなパイプベッドと常に人が階段に座ってお喋りして騒がしい宿で気持ち安らぐことはなかったけれど、それでもかつて人生初のカルチャーショックを受けたロンドンという街にいられることが嬉しかった。

ロンドンからはコーチ(バス)で港町ドーバーへ。数週間前にベルギーからこのドーバーに渡ってきたときはいろんなことにテンパり過ぎててホント大変だったな…。これから私は大型フェリーに乗っていざフランスへ。しかしどこをどうやってフェリーに乗るのかも分からず、とりあえず人に聞きまくってなんとかチェックイン完了。またも胃痛がしてくる。大丈夫か、私。

(ドーバーの白い崖)

フェリーの中では朝ロンドンで買ったリンゴとチョコレート、安いパンをかじってドーバー海峡を渡る。頭の中はフランス側の港町カレー(Carais)から無事にパリ行きの列車に乗れるのかどうか不安でいっぱいだった。

フランスに到着すると全員フェリーからすぐにバスに乗せられ、入国審査とかあると思ったのに降ろされたのは駅だった。駅までどうやって移動しようか悩んでいたので、意外なくらいあっさりと問題解決。ホッとしてパリ行きの列車が来るまでの時間いろいろと整理しようとベンチに座ってしばらくして、いろいろ「何か」がおかしいことに気が付く。

あ・・・時差

パリ行きの列車は一時間前に出発していた。あーーーーー、みんな時計触ってたのは時間を修正していたのね。そういうことか。やられた。残念ながらこの日のパリ行きは断念するしかなく、しぶしぶツーリストインフォメーションへ。

刺激はないが安パイなユースホステルに泊まることにした。

非常にキレイで清潔なホステル。まあユースホステルは、通常私が泊まっている安宿よりは若干価格が高めなのでキレイであることは当然だと決めている。とはいえ約1,400円程度。今にして思えば本当に安いな。

しかしこちらの化粧室。トイレと同じ空間にシャワー室があり、突き当りにはもう一枚ドアがあって鍵がかかっていた。しばらくそのドアの意味が分からなかったのだが、なんと隣室と繋がっているではないか!!!
トイレ&シャワー室からは鍵が掛けられない作りになってて、運悪く隣人と同じタイミングでトイレorシャワーを使うことになったら、と思うとゆっくりする気にもならなかった。シャワー室にはビニールカーテンが一枚ぶら下がっているだけ。夜中に突然、顔の見えない隣人の用を足す音が聞こえてきた時はゾッとした。まだ共同トイレの方がいいや。きれいで一見安全なのに、これは本当に恐怖だった。

2025年7月10日木曜日

アイルランド(ダブリン)・・・フランシスコとの再会

父とアイルランド西海岸の旅を終えて、そろそろ次の土地へ行くための準備を始めた。ぬるいギネスを毎日のように飲んでいたけれど、これが飲めなくなるのは寂しいなあ。ダブリンは全てが心地よかった。パブでは誰からともなく演奏を始めると、我こそはと次々と楽器を出してセッションが始まる。ギネス飲んでいたおじいちゃんとおばあちゃんが体を動かし始めて、ついには立ち上がって踊り出す。皆が手拍子したり、おしゃべりを続けたり。


昼間のパブはいわゆるカフェ的な存在で、ランチあとのビジネスマンがやってきてギネスを飲みながら議論を交わしてそのままオフィスへ戻っていく。そのため私もすっかり昼間からぬるいギネスを飲むのが習慣になってしまい、これがなくなるなんてどうしたらいいのかと真剣に悩んだ。

ダブリン城やトリニティカレッジなど馴染みとなった街を歩き回った。公園では水鳥が魚を食べてる姿や、ベンチで新聞を読む青年、腕を組んで歩く老夫婦を眺めながら「ここを発つ日を決めておいてよかった」と思った。そうでなければ私は残りの日々をここで過ごしたいと思っていたかもしれない。

父の住むアパートメント。中庭があった。

室内でハンティング帽を被ってすっかりアイルランド紳士気取りの父。

父のアパートにいて何が良かったって、食事や宿の心配がなかったことはもちろん、日本語が使えるPCがあるということ!家族や友人と思う存分やり取りできたのは本当に大きかった。そして日本語のメールの中にいくつか旅先で知り合った友人から英語のメールも来ていて旅の情報を送ってくれていた。なんと有難い!さらにキラーニーで知り合った真面目そうなあのメガネ青年フランシスコからもメールが。
ダブリンの大学に留学中のスペイン人フランシスコが「ノゾミがダブリンを去る前にもう一度会いたい」とのこと。
中央郵便局前で待ち合わせることにして、近所のレストランでエビフライとサラダとスープとフライドポテトを食べ、フランシスコおすすめのホットウイスキーを飲んでみる。お…おいしい!!さらにレモンとクローブを加えたものもまたおいしい!!
キラーニーで山道遭難しかけた話をするとビックリされて、やはりあの距離感を分かってなかった私がアホだったのだろうなと思ったが、彼はとても素晴らしい経験だったと褒めてくれて、次は彼の住むバルセロナで再会しようと約束をした。日本人的には一見ひ弱そうに見える彼だったが、全てにおいて紳士的な態度(ジェンダーギャップに厳しくなった2025年現在としてはいいのか悪いのか分かりませんが)で、私を立ててくれる。これこそが「れでぃふぁーすと」ってやつか!と感心しながら父のアパート前に到着。
「いいね?バルセロナに来る日が決まったら必ず連絡するんだよ」
と言って、突然唇を奪われた。

...!!!
父のアパート前ですが!
真面目で気弱に見えましたが!
いや、これはハイタッチくらいの挨拶なのですか!?

脳内処理が間に合わないうちにフランシスコは帰っていき、私はただ呆然と彼の後ろ姿を見送った。

2025年7月4日金曜日

アイルランド(アラン諸島)・・・最果ての地へ

昨日の荒天が嘘のように快晴。よかった!アラン諸島に渡るためにはフェリーに乗らなくちゃだけど、昨日みたいな天気だったらどうしようかと思ってた。アラン諸島はイニシュモア島、イニシュマーン島、イニシィア島の三島があり、私たちは一番大きなイニシュモア島に行くことに。

ロッサヴェール港よりフェリーで約40分。おおっと、なかなかな老朽っぷりだけど大丈夫か??泳ぐアザラシと並んでフェリーが動き出した。


可愛らしい建物が見えてきた!し…しかし、あまりの寒さに指がちぎれるかと思った。父も同じだったようで、島に着くなり「記念に」とお揃いの革の手袋を買ってくれた。今となっては、この旅のことをちゃんと振り返ってこなかったことをとても後悔している。父が2018年から2019年にかけて約1年闘病生活を送っている間に、たくさん会話できたのに、私は1度もこの旅のことを父と話さなかった。当時の生活そして子供たちのことで手一杯で、旅のことはすっかり忘れていたのだ。もう一度、二人であの時間のことを振り返ってみたかったな。

ケルト文化が色濃く残っており、こちらの十字架はケルト十字と言われる真ん中に円があるもの。あちこちで見かけた。
島の中を移動するためレンタサイクルを借りていざ出発。父のぎこちない自転車の漕ぎ方が微笑ましい。観光地とは思えない静かな島で、人影は見当たらず、迷惑そうにこちらを見る牛に遠慮しながら進んでいく。



なんだか巨大迷路にでも迷い込んでしまったかのよう。

突如現れたドンエンガスの断崖絶壁。柵も何もなく、風が吹けば崖下に吸い込まれてしまいそうになる。高所恐怖症の父と高所大好きな私。


そしてさらに断崖には約3000年前に建てられたという古代要塞が。いったい誰が何のために作ったのか謎が多いらしい。しかしこの場所には謎という言葉がぴったりだ。

それにしても昨日のモハーの断崖以上の迫力に圧倒された。容赦なく冷たい風がごうごうと吹き付けてきて、荒涼とした土地もこの力強い自然によって形成されたものだと納得する。この凄まじい自然のパワーを、隣にいる父と共感しあえることの喜びよ。牛がいるだけで笑いあえる。もうすぐアイルランドを発ち、また一人旅に出ることが寂しくてたまらなくなってきていた。



フランス(カレー)→フランス(パリ)・・・野球部顔負けのパリ散歩

 2001/02/20 ユースホステルの朝食はバケット、コーンフレーク、紅茶、コーヒー、オレンジジュース。茶色い粒々したものは、シリアルの一種かと思ったらチョコレートドリンクの素だったらしい。アジア人に馴染みないものに出会うとちょっと嬉しくなる。 カレー駅で久しぶりにユーレイルパ...