2025年6月17日火曜日

オランダ(アムステルダム)からベルギー(ブルージュ)へ・・・東洋人はみなチャイナ?

 2001/01/23 18,000歩

移動ばかりが目的の旅なのはいかがなものか、なんて数日前にコペンハーゲンで考えたばっかりだったけど、お酒とドラッグでテンション高いルームメイトたちの騒ぎ声にうんざりしたのもあって、アムステルダムは一泊だけにして、今日はベルギー北西部にあるブルージュという街に行ってみようと決めた。

(アムステルダムにある跳ね橋)

朝食前にザックに荷物を詰め込み、出発の準備を済ませてから食堂へ。二種類の食パンに、甘くないラスク、ジャム数種、ハムとチーズ、コーンフレークと甘くも酸っぱくもないヨーグルト、オレンジジュースとコーヒー、紅茶。貧乏旅行には夢のような朝食。もちろんキッチンもあって自分で食事を作ることも可能。黙々と食べていると目の前に山のように食パンを積んだ人が座った。アマノだった。「朝食要らないから昼ご飯を作る」と言って、堂々と朝食用のパンにハムやチーズと挟んでサンドイッチを作っていた。ナイスアイデア!私も一緒に昼食用のサンドイッチを作った。アマノは一年の半分はインドで過ごしているが、時々お金を稼ぐために漁に出るとか。今回もそのためにこれからノルウェーに向かうらしい。シャワー室で大声で歌うアマノの声を聴きながらホステルを後にし、一度は行ってみたかったアンネフランクの家へ。アンネが<強制連行されるユダヤ人を見て、自分が密告者のような気分だった>というのを想像しながら窓から通りを眺めた。この場所で息をひそめて生活していたことがリアルに伝わってきた。
(アンネ・フランクの家)

特に何の未練もなくアムステルダムからベルギーはブリュッセル行きの列車に乗り込んだ。二人ずつ向かい合わせの4人掛けの二等席。国境超えるのもパスポートいるのかなあ?くらいにのんびり構えていたら、案の定、国境駅で停車。乗り込んできた警察官が一人一人のパスポートを入念にチェックし始めた。おお、こんなの初めて。私はあっさり確認終了。同じ席に座っていた中国人男性二人のパスポートを見て、警察官が眉をひそめた。おいおいおい。どうやら一人は入国のスタンプがないらしく、なんともう一人はパスポートすら持たない。おいおいおい。しかも全く英語が通じないらしくらちが明かない。周りも何事かとざわざわし始めた。とそこで気が付いたのだが、みんなの目線が完全に私を含む「三人の東洋人」がトラブルの原因として見られている!おいおいおい!ちょっと待ってよ。警察官もどうにか意思疎通を図りたいらしく私の方を見て「お前こいつらに聞いてくれよ」と言ってきた。えーーーーマジか。仕方なく警察官の言ってることを漢字で書いてはみたものの、中国人の言ってる言葉がさっぱり分からず、結局二人とも強制連行されてしまった。残った私を見て「女は違うのか?」と周囲の声。ちょっと勘弁してよ。しかしまぁ、仲間に見えなくもない服装だったかもしれない。

ブリュッセルに到着後、すぐにブルージュ行きに乗り換える。中世の街並みというワードが記憶にあったんだけどまさにそう!どことなくリューベックに似ているけどもっと町全体が広く大きく、霧がかかった町並みはおとぎ話に出てきそうな美しさだった。ツーリストインフォメーションではすぐに安宿をいくつか教えてもらえた。なんとどこも安くて一泊1000円前後のところばかり。私が選んだのはなんと一泊約870円程度の宿。一階がバーになってて、二階が宿。6人男女混合部屋でオーストラリアからの女子二人いたのでひとまず安心。キッチンは自由に使えるので、スーパーマーケットで数日分の食材とお酒を買い込んできた。

しかしねえ、シャワー室が男女兼用で、ドアがなくまるで海の家のようなカーテン一枚。時々カーテンが人にあたって揺れたりするのでその都度中を覗かれているのではないかとヒヤヒヤ。3か月の旅の中でこの宿が一番安く、一番不用心だった。

ちなみに25年後の現在、ストリートビューで調べたらこんな感じ。手前から2軒目の建物だけど、ネットの情報では今はこの場所では営業してないようだ。

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